教えるということは、教えられる者以上に、教える者にいろいろな気付きを与えてくれるという、今更ながらのお話し2つです。すみません。
(1)今、所属校のロースクールで、企業内法務に関する科目を3コマ担当している。企業内リーガルセクションフォーラム・プログラムという、法科大学院から企業内法務への接続を容易にするために、企業内法務を概観する授業(端的に言えば、法務部門の新人研修の一部前倒し)を春学期と秋学期に1コマずつ計2コマ、そして模擬契約交渉や模擬トラブル対応などの演習中心の実務基礎科目1コマである。
実際授業を開始するまでは、かつて企業法務部門に所属していた際に行っていた法務社員向けの研修の要領かなとイメージしていたのだが、いざ始めてみると大きく違うことに気付いた。法務社員であれば、たとえ新人であっても、現場最前線にいるのは間違いなく、肌感覚で、仕事とは何か、会社とは何か、経営とは何か、企業内法務とは何かを日々感じている。そして、そのことを当然の前提として、研修は設計され実施される。しかし、学校の場合、受講者は学生であるため(しかも多くは社会人経験を有しない)、企業内法務について語る前に、そもそも仕事とは何か、会社とは何か、経営とは何かを説明しなければならないのである。逆にいえば、企業内法務が、どれだけ、会社や経営と結びついたものかを改めて認識した次第である。
また、授業を進める中で、実務に関する科目とはいえ、実務経験のない学生に、教室内で実務を実務として教授するのは、水泳経験のない者を畳の上で泳がせて泳ぎ方を教えるようなものであって、決して効率的ではないことも気付いた。やはり、教室での教育には、一定程度抽象化・体系化した知識を教えることが求められる。基礎的な知識を一応身につけた者に経験させると、知識は定着し、経験を素早く吸収するのではないかと思っている。
そこで、授業では(乏しい)経験からひねり出すようにして、企業内法務についての考え方を自分なりに抽象化、体系化して解説しようと努力している。(全15回の授業の内、企業内法務の最前線で活躍されている方をゲスト講師として計7回招いているが、ゲスト講師の授業を楽しみにしているのは学生ばかりではなく、私も楽しみにしている。それぞれの講師の、企業内法務観を90分間聴けるのは、滅多にない機会で大変贅沢な話しだと恐縮している。)
例えば、(あくまでも私見であるが)企業内法務担当者に求められる汎用的基礎力として、リーガル・マインド、ビジネス・センス、マネジメント・スキルの3つを提唱しているのだが、企業内法務について授業を担当しなければ、ここまで煮詰めて考えることはなかったろう。
いずれの気付きも、最前線で実務に携わられている方からすれば、何を温いことを、とおしかりを受けるかもしれないが、企業内法務教育を担当する立場を活かした形で、企業内法務と向き合い、企業内法務業界(?)になにがしかの貢献ができればと思っている。
(2)ロースクールの他にビジネススクールにも出講しており、そこでは、企業法務全般についての概説講義を担当している。受講生のほとんどは、法学部出身者ではなく、また社会人経験を有する者も多い。
あるとき授業で、特許権制度の概要を解説したことがあった。特許権の一生として、出願>出願公開>審査請求>審査>特許査定>設定登録>存続期間満了、という大きな流れを、ところどころ大学入試にたとえながら説明した(例:「大学入試の場合願書を出す、すなわち出願することをしないと始まりませんが、特許権もそれと同じで、まず出願が必要です。」「審査は、入試の採点みたいなものです。特許査定は合格通知。そして、入学するためには、合格通知をもらっただけではダメで、入学手続きが必要なのと同様に、特許査定を受けて設定登録しないと晴れて特許権は発生しない」など)。
一通りの説明終了後、ある学生が挙手して「出願公開は避けられないのですよね。そして、特許権が発生するのは、審査を経て設定登録をすませてからなのですよね。とすると、公開から設定登録の間までに、公開された情報をみてマネされたらどうなるのでしょうか。発明した会社としては損害を受けることになると思うのですが。」という趣旨の質問をしたのである。いうまでもなく、この質問は、出願公開による補償金請求権制度の制度趣旨を端的に言い表している。
素晴らしい質問に、正直驚いた。自分が特許法について初めて学んだときのことを思い出すと、制度として説明されて初めて、なるほど確かにそういう不都合があるなあ、と思ったものであるが、質問した学生は、自力で、その不都合に気付いたのである。
そのとき思ったのは、自分は法律や法制度を、いつの間にか、何か自立した存在・対象のように捉えているのではないか、ということであった。実際には、社会や経済の仕組みと結びついて存在しているにもかかわらずである。特に、企業法務に関わる法律は、企業活動に密接に結びついている。結果、具体的な法律は知らなくても、企業活動自体をよく理解していると、そこから思考を進めれば、関係する法律の要諦に、自ずとたどり着けるのである。
これは、かなり示唆的かもしれない。経営者が、ビジネス部門が、法務の説明を理解してくれない。往々にしてあることなのだが、その原因は、先方の理解不足もあるだろうが、一方で、法務の側が、彼・彼女らと同じ程度にビジネスを理解できていないために、ビジネスサイドの思考の進展を促せていない可能性があるのだろう。
このときも、教えることは、教えられる以上に、学ぶことが多いのだと気付いた次第である。
日々勉強である。
2016年12月20日
ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決について
ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決
(知財高判H28.10.19平成28(ネ)10041)
1 はじめに
まだ、判例評釈など公刊されていないようなので、簡単にコメントしておきたい。
ポイントから先にいえば、本判決の結論自体は、あり得る一つの結論だと理解するが、結論にいたる論理には2つの問題点があると考えている。
2 事案の概要および争点(以下のコメントに必要な部分のみ)
X(1審原告)は、著作権等管理事業者として音楽著作権の管理業務を行っている。Y(1審被告ら)は、本件店舗の経営者である。
「本件店舗は・・・ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている」
「Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店し・・・本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができる」
「本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収している」
本件店舗で開催される「各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定して」いる。
「本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布している」
以上の事実関係を前提として、Yは本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体であるといえるかが争われた。
3 判決のポイント(関連部分のみ)
「(1)著作権の利用主体について
本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第1204号同63年3月15日第三小法廷判決・民集42巻3号199頁,最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1号399頁等参照)。」
「(2)Yらの演奏主体性について
前記・・・認定事実・・・のとおり,本件店舗は,ライブの開催を伴わずにバーとして営業する場合もあるものの,ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている・・・。
また,前記・・・認定事実・・・のとおり,Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店したこと,本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができること,本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収していることからすれば,本件店舗は,X管理著作物の演奏につき,単に出演者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまるものではないというべきである。」
「・・・これらの事実を総合すると,Yらは,いずれも,本件店舗におけるX管理著作物の演奏を管理・支配し,演奏の実現における枢要な行為を行い,それによって利益を得ていると認められるから,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たると認めるのが相当である。」
「Yらは,本件店舗におけるライブの主催者は,本件店舗以外の第三者であり,Yらは単にライブの場を提供しているのみであって,演奏曲目やミュージックチャージの額を決定していないから,演奏主体に当たらないと主張する。
しかし,前記・・・認定事実・・・のとおり,そもそも本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができ,本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであること,本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布していること,本件店舗では,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代を徴収していることからすると,たとえ各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定していたとしても,そのような事実は上記・・・認定を妨げるものとはいえない。よって,Yらの上記主張は採用することができない。」
「さらに,Yらは,X管理著作物の演奏の実現における枢要な行為は,〔1〕X管理著作物の選定及び〔2〕選定されたX管理著作物の実演であるところ,Yらは,いずれもこれらの行為を行っていないので,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たらないと主張する。
しかし,前示のとおり,著作権の侵害主体性を判断するに当たっては,物理的,自然的な観点にとどまらず,規範的な観点から行為の主体性を検討判断するのが相当であるところ,そもそも本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当である。・・・
よって,Yらは,本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)であると認められる。」
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(1)汎用ロクラクU法理 ⊃ カラオケ法理?
本判決中の
「本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」
という説示は、
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」とした上で、「サービス提供者は、単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為をしており、複製時におけるサービス提供者の上記各行為がなければ、当該サービスの利用者が録画の指示をしても、放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであり、サービス提供者を複製の主体というに十分であるからである」
とする、ロクラクU事件最高裁判決(最判平成平成23・1・20民集65・1・399)の説示に倣ったものであることは明らかである。
しかしながら、そもそも、ロクラクU事件最判の前記説示は、複製の場合を越えて、利用行為一般に適用できるものであったのか、疑問がある。というのも同最判は、前記引用部の直前に
「放送番組等の複製物を取得することを可能にするサービスにおいて,サービスを提供する者・・・が,その管理,支配下において,テレビアンテナで受信した放送を複製の機能を有する機器・・・に入力していて,当該複製機器に録画の指示がされると放送番組等の複製が自動的に行われる場合には,その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。」(下線評者)
という件があることからも明らかなように、下線部のような場合についての、複製主体の判断のために示されたものである。それを、特段の検討もなく、「複製」という用語を単純に「著作物の利用」と置き換えることで、汎用ロクラクU法理とでも呼ぶべきようなものに転換した上で用いていることには疑問を感じざるを得ない。
さらにいえば、本判決は、前記汎用ロクラクU法理を述べた部分で、参照判例として、ロクラクU事件最判のみならず、クラブ・キャッツアイ事件最判(最判昭和63・3・15民集42・3・199)をあげている。これは、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理もその一形態と理解していることの証左のように思われる。これは多分に、ロクラクU事件最判における金築裁判官の補足意見である
「『カラオケ法理』は,法概念の規範的解釈として,一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり,これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる。したがって,考慮されるべき要素も,行為類型によって変わり得るのであり,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない。この二要素は,社会的,経済的な観点から行為の主体を検討する際に,多くの場合,重要な要素であるというにとどまる。」
に影響されたものと思われる。
しかしながら、前記補足意見が、大勢を占めるのであれば、それは法廷意見となっているはずであり、現実には、補足意見にとどまることは、十分考慮されなければならない。しかも、ロクラクU事件最判の法廷意見中には、クラブ・キャッツアイ事件最判に対する言及が全く存在しないことからも、本判決のように、カラオケ法理を(汎用)ロクラクU法理の一形態と位置づけることには疑問を持たざるを得ない。むしろ、学説上指摘されるように、ロクラクU事件最判の考え方は、複製の場合の利用(侵害)主体に関する論理で、カラオケ法理は(最高裁レベルでは)演奏の場合の利用(侵害)主体に関する論理、というように分けて考える方が素直なようにも思われる。
(2)枢要行為はどこ?
そもそもロクラクU事件最判の
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」
という部分は、複製の主体は総合考慮によって判断すべきと述べているに過ぎず、考慮要素が明示されているといっても、特筆するものもなく、かつ、いずれを重視すべきかなども示されておらず、具体的な事案で用いようとした途端に困ってしまうところがある。
そのため、前記総合考慮をクリアして複製主体と判断できる一例として、
「単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為を」
したことをあげた部分が注目を集めるのである。
本判決も、その点を意識し、
「著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」
と述べている。
仮に、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理をその一形態として理解することを是とした場合、本判決の直上引用部分は当然ということになろう。
しかしながら問題はその先である。では、本判決は、何をもって、枢要行為と考えたのだろうか。この点、本判決は
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当」
と述べるにとどまる。つまり、具体的な行為は特定されていないのである。善解すれば、
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていること」
全体が枢要な行為ということになるのかもしれない。しかしながら、そもそも、枢要とは、辞書を引けば明らかなように、「物事の最も大切な所」(デジタル大辞泉)という意味であり、行為すべてが枢要であるというのは、矛盾といわざるを得ない。結局、本判決は、単に総合考慮したにすぎない。この点、ロクラクU事件最判が
「管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為」
と特定して、予測可能性を高めているのとは、大きく異なることを指摘したい。
(3)デサフィナード事件
デサフィナード事件では、外部の演奏者に、彼・彼女らが主催するライブのために店舗を使用させたレストランカフェについて、演奏の主体となりか否かが問題となった。同事案では、曲目は演奏者が決定し、ライブチケットの作成・販売も演奏者が行い、売り上げも演奏者がすべて手にした。レストランカフェ側は、従業員がチケット代金の徴収事務を代行したり、例外的に予約を受け付けたりする以外は、ライブに関与しなかった。さらに、店舗使用料を受け取ることも、演奏者に出演料を支払うこともせず、ライブの観客が求めた場合に簡素な飲食物を提供するだけであった。以上のような事実関係を踏まえ、裁判所は、レストランカフェ側のライブに対する管理・支配がなく、また、レストランカフェを営業上の利益の帰属主体ともいえないとして、レストランカフェを演奏行為の主体とは認めなかった(大阪高判平成20・9・30判時2031号132頁)
デサフィナード事件大阪高裁判決は、カラオケ法理を用いている(なお同判決は、カラオケ法理はカラオケの文脈で発展してきたものであるとして、他の文脈では参酌すべきという慎重な態度を示すが、実態としてカラオケ法理を用いているといってよいだろう)。デサフィナード事件と本件との間で、事実関係の違いを探すと、店舗側の従業員の関与の程度と、店舗側がライブに集まった観客からどの程度確実に収入を得ることができるかの2点となろう。しかし、このような差で、デサフィナード事件の場合に認められなかった管理・支配性が、本件の場合には肯定されるといえるのかは、意見が分かれるところだろう(なお、営業上の利益については、本件の方がより直接的に存在するのは事実であろう)。つまり、本件は、カラオケ法理で解決するには、限界事例であったように思える。
その意味で、カラオケ法理ではなく、汎用ロクラクU法理を用いようとした点、理解できなくはないのであるが、やはり、(2)で指摘したような問題点が気にかかり、結論の当否は横に置いて、本判決には疑問を感じざるを得ないのである。
以上
| 企業内法務
2016年09月16日
【旧版】GS Media事件欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
GS Media BV v. Sonoma Media Netherlands BV事件
欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
〜インターネット上に無断アップロードされた著作物へのリンクが侵害となる条件〜
欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
〜インターネット上に無断アップロードされた著作物へのリンクが侵害となる条件〜
慶應義塾大学法科大学院 奥邨弘司
はじめに
インターネット上のリンク行為について、著作権侵害(間接侵害ではなくて直接侵害)が成立しうることを示したものとして注目される本判決について、速報性を重視して、事実関係と判決内容の概要を紹介するとともに、簡単なコメントを付した。詳細な検討や、日本法への示唆についての考察は、別途稿を改めて行いたい。
なお、速報性重視の点から、急いで作業を行ったため、誤字・脱字、判決の誤読などが少なからず含まれるかもしれず、その点は、ご容赦願いたい。適宜、加筆訂正は行いたい。
1 事実の概要
Playboy誌を発行しているSanoma社は、ドイツのテレビ司会者Britt Dekkerのヌード写真を、同誌の2011年12月号に掲載予定であった。Sanoma社は撮影したカメラマンから、当該写真の著作権について独占許諾を得ていた。
前記雑誌の発行前である、同年10月のある日、GeeStijl.nlというwebニュースサイトを運営するGS Media社に対して、匿名の人物から、前記写真のファイルがホストされているサイトのURLが送信されてきた。同日、Sonoma社から、GS Media社の親会社に対して、GeenStijlに写真を掲載しないようにとの連絡が届いたが、GS Media社は「Ms Dekkerのヌード写真」という記事を掲載し、問題の写真中の1枚の一部と、「お待ちかねのあなたに写真へのリンクへはこちら」という文言と共に、写真へのリンクを掲載した。
その後、Sonoma社から記事の掲載停止の要請がGS Media社に届くが、同社は、2度、新たな記事を掲載し、写真へのリンク(当初写真を掲載していたサイトが、Sonoma社からの要請で写真を削除したので、写真を掲載している別のサイトへのリンク)も掲載した。
Sonoma社は、GS Media社による、リンクと写真の一部の掲載が著作権侵害などに当たるとして、オランダで訴訟を提起した。地裁は著作権侵害を認めたが、控訴裁は認めず、事件は最高裁に上告された。オランダ最高裁は、著作権者の同意なく、インターネット上に掲載され自由にアクセス可能な著作物に対してリンクを提供する行為が、情報社会指令の定める公衆への送信権の侵害となるか否かについて、欧州司法裁判所の先決判断を求めた。
2 判決の概要
「従来判示してきたように、『公衆への送信』という概念は、著作物の『送信行為』と『公衆』に対する著作物の送信という、累積的な2つの基準を含むものである。」また、「公衆への送信の」概念への該当性は、個別に判断が必要であって、相互依存的な追加の基準も考慮する必要がある。すなわち、第1に考慮すべきは、送信行為を行う者の果たす役割の不可欠性(送信者の行為がなければ受信者は著作物を享受できない)と意図性(受信者に著作物を享受のする機会を与えることを意図して送信を行う)である。第2に、「公衆」概念は、不確定数の潜在的視聴者を意味し、かなり多数であることを含意されている。第3は、情報社会指令の定める公衆への送信における「送信」とは営利的な性質を有しているという点である。
Svensson事件判決(C-466/12, EU:C:2014:76)によれば、「問題となっている送信行為が『追加的公衆』に向けられた者ではない場合、公衆への送信は成立しない。」リンクについても、追加的公衆に向けられたものでなければならないところ、「著作物が他のwebサイト上で、著作権者の許諾のもと、全てのインターネットユーザーに自由に利用可能となっている場合、リンク行為は、情報社会指令上の公衆への送信には該当しない」が、逆に著作権者の同意がない場合は、公衆への送信に該当しないとはいえない。
もっとも、GS Media社やドイツ政府、欧州委員会などからは、無許諾でインターネット上に掲載された著作物へのリンクを掲載する行為を全て著作権侵害とすることは、表現の自由への過大な制約であり、自由および公共の利益と著作権者の利益のバランスを求める、情報社会指令に合致しないとの指摘がある。
この点、表現の自由にとってのインターネットの重要性、そして、リンクがインターネットおよび大量の情報の交換に貢献していることを考慮しなければならない。さらに、「特に個人にとって、リンクが誘導しようとしているwebサイトが保護されている著作物へのアクセスを提供しているのかどうか、そして、必要な場合は、それらの著作物がインターネットに掲載されることについて著作権者が同意しているかどうかを確かめるのは難しい。」また、リンク掲載後に、リンクした者が知らないうちに、リンク先のwebサイトの内容が変更されることもある。
以上を踏まえると、公衆への送信該当性の判断に当たっては、「他のwebサイト上で自由に利用可能な著作物へのリンクが、利益を目的としない者によって行われる場合、当該者が、当該著作物が著作権者の同意なくインターネット上に掲載されたということを、現に知らないおよび合理的に知ることもできないという事実は考慮される必要がある。」「逆に、自身が掲載したリンクがインターネット上に違法に掲載された著作物へのアクセスを提供することを限に知っていたまたは知り得べきであった者――例えば著作権者によってその旨通知された場合など――は、そのようなリンクの提供は、情報社会指令の定める『公衆への送信』に該当すると考えるべきである。」オリジナルのサイトで、著作物へのアクセスを会員に限定するための制限が行われている場合に、そのような制限を回避することを可能とするようなリンクを掲載する行為も、同様に理解されるべきである。「さらに、リンクの掲載が利益を目的として行われるとき、そのようなリンクを掲載する者は、関連する著作物が、当該リンクが誘導するwebサイト上に、違法に公開されていないことを確かめるため必要なチェックを行うことが期待される。ゆえに、当該著作物が保護されるものであること、かつ、インターネット上での公開に対する著作権者の同意がもしかしたら欠けるかもしれないことについて、十分な認識を持って。当該リンクを掲載したものと推定される。そのような状況下で、かつ、覆滅可能な推定について覆滅がなされない場合、インターネット上に違法に掲載された作品へのリンクを掲載することは、『公衆への送信』に該当する。」
オランダ最高裁への回答としては、情報社会指令については次のように解釈すべきである。すなわち「著作権者の同意なく他のwebサイト上で自由に利用可能となっている著作物へのリンクをwebサイト上に掲載することが、同指令の規定するところの『公衆への送信』に該当するか否かを立証するためには、当該リンクの提供が、他のwebサイト上における著作物の公開が違法なものであることを知らずかつ合理的に知ることもできなかった者によって営利を目的とせずになされたものであるか、逆に、認識を推定させるような状況でかつそのような目的(注:営利目的)で行われたものであるかを判断しなければならない。」
3 コメント
著作権者の同意なく他のwebサイト上で自由に利用可能となっている著作物へのリンクをwebサイト上に掲載することが、公衆への送信となり得る、という本判決の結論は――それ自体の当否を別として――これまでの欧州司法裁の一連の判決を踏まると、ある程度「想定の範囲内」のものであったといえよう。
Svensson事件判決で、欧州司法裁は、「他のwebサイトで自由に利用可能な著作物に対するリンクをwebサイト上に提供することは『公衆への送信』には該当しない」と判示したため、一見すると本判決と矛盾するように見える。しかしながら、同事件の場合、著作権者の許諾のもとにインターネット上に掲載され、インターネットユーザーなら誰でも自由にアクセス可能な著作物に対するリンクが問題であったところ、本件の場合は、同じくインターネットユーザーなら誰でも自由にアクセス可能な著作物ではあるが、そもそもインターネットへの掲載自体は著作権者の同意を得ていない、違法なものであるという差があった。本判決は、その差に注目して、Svensson事件判決と矛盾しない形で結論を導いたものである。
本判決を理解するための、3つの重要ポイントについて簡単に触れたい。
(1)リンクは送信か
本判決は、リンクは当然送信行為であるとするが、その理由については詳しく触れていない。この点、Svensson事件判決は、「送信行為」は広く解釈されるべきであるとした上で、「公衆を構成する者が、その機会を利用するかどうかは別として、アクセス可能なように公衆に利用可能とされていれば」十分に「送信行為」に該当するとし、リンクは「『利用可能化』と考えられるべきであり、ゆえに、情報社会指令における『送信行為』である」とする。(注:情報社会指令では、利用可能化は、公衆への送信に含まれると規定されている。)
(2)追加的公衆
一旦、公衆への送信が行われた著作物をさらに公衆に送信する行為が問題となり得るかについて、欧州司法裁は、後者の送信の相手先たる公衆が「追加的公衆(new public)」に該当するか否かに着目する。追加的公衆とは、「著作権者が最初の公衆への送信を許諾した際に考慮されていなかった公衆」(Svensson事件判決)を意味する。結果、同事件の場合、著作権者がインターネット上での公開を許諾している以上、元々インターネットユーザーなら誰でもアクセス可能だったのであり、それへのリンクを提供しても、新たにアクセス可能となる者が増えるわけではなく、追加的公衆への送信とは解されないから、公衆への送信権の対象行為とは解されなかった。一方、本件の場合は、最初の公衆への送信自体が、著作権者の許諾を得ていないので、リンクの提供も公衆への送信権の対象行為と解されたわけである。(詳しくは、稿を改めて検討したいが、「追加的公衆」の概念は、公衆への送信の場合における「消尽」論と捉えてもよいかもしれない。)
(3)送信と営利目的
本判決は、情報社会指令の定める公衆への送信における「送信」とは営利的な性質を有しているとするが、この認識は本判決に特有なものではない。例えば、本判決が参照するFootball Association Premier League事件判決(C‑403/08, EU:C:2011:631)では「情報社会指令における『送信』は営利的性質である」と説示し、同判決が参照するSGAE事件判決(C‑306/05, EU:C:2006:764)では「利益の追求は、公衆への送信を認定するための必須の条件ではないが、本件の事実関係のもとでは、送信は営利的性質を有するのは、いずれにしても明確である」と説示している。一貫した傾向といえる。
ところで、前記(1)(2)で触れたような考え方を前提とするならば、著作権者の同意なくインターネット上に掲載されている著作物へのリンクを提供する行為は全て、公衆への送信に該当する、と解すべきように思われる。しかしながら、本判決は、そのようなリンクであっても
@ リンクが営利目的でない場合は、リンク先が、同意なくインターネット上に掲載され
た著作物であることを現に知らず、かつ、合理的に知り得なかった場合
A リンクが営利目的である場合は、同意なくインターネット上に掲載された著作物であ
ることを現に知っていたまたは合理的に知り得たと推定されるが、そのような推定を
覆滅できた場合
は、公衆への送信にあたらないとする。営利目的云々は、前記(3)との関係であろうが、いずれにしても、なぜ、@Aが除外されるのかについて、説得的な理由が提供されているようには見えない。強いていえば、表現の自由やインターネットの重要性への配慮から、一定の譲歩をしただけに過ぎないように思われる。仮にそうだとすると、@Aはある種の例外といえ、いずれも厳格に解釈され、該当するのは難しいということになるかもしれない。また、営利目的かどうかは、@になるかAになるかで、極めて重要な分水嶺であるところ、どのような場合を営利目的と捉えるかが、今後の議論の中心になってくるようにも思われる。さらに、Aの場合は、どうすれば推定を覆滅できるのかも、重要となろう。
なお、本判決は、「公衆への送信」に該当するか否かを判断する基準を示したのみであり、「公衆への送信」に関する権利の侵害に当たるか否かを判断しているわけではない。したがって、一見分かりづらいが、本判決は、著作権者の同意なくインターネット上に掲載されている著作物へのリンクを提供する行為であっても、@またはAの場合は、公衆への送信に該当しないと判断したことになる。そのようなリンク提供行為は全て公衆への送信であるが、@またはAの場合は、著作権(公衆への送信に関する権利)の侵害にはならないと判断したわけではない。もっとも、本判決の場合も、@またはAは、そもそも公衆への送信に該当しないから、当然、同権利の侵害になることはあり得ない。
4 まとめにかえて
日本法への示唆は、別途稿を改めて検討するつもりだが、一言だけ触れると、冒頭述べたように、本判決は、従来の欧州司法裁の関連裁判例の延長上に存在するものであって、その意味では「想定の範囲内」であるが、基礎となる考え方(例えば前記(1)〜(3)など)自体が、我が国では必ずしも馴染みのないものであることを考えると、我が国著作権法制から見れば、本判決(の考え方)は、少なくとも現状、「想定の範囲外」ということになるだろう。
以上
| 資料・Draft
2016年09月11日
GS Media事件欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
GS Media BV v. Sonoma Media Netherlands BV事件
欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
〜インターネット上に無断アップロードされた著作物へのリンクが侵害となる条件〜
【改訂版】
欧州司法裁判決(2016年9月8日)の紹介
〜インターネット上に無断アップロードされた著作物へのリンクが侵害となる条件〜
【改訂版】
<旧版へのリンク>
慶應義塾大学法科大学院 奥邨弘司
はじめに
インターネット上のリンク行為について、著作権侵害(間接侵害ではなくて直接侵害)が成立しうることを示したものとして注目される本判決について、速報性を重視して、事実関係と判決内容の概要を紹介するとともに、簡単なコメントを付した。詳細な検討や、日本法への示唆についての考察は、別途稿を改めて行いたい。
なお、速報性重視の点から、急いで作業を行ったため、誤字・脱字、判決の誤読などが少なからず含まれるかもしれず、その点は、ご容赦願いたい。適宜、加筆訂正は行いたい。
1 事実の概要
Playboy誌を発行しているSanoma社は、ドイツのテレビ司会者Britt Dekkerのヌード写真を、同誌の2011年12月号に掲載予定であった。Sanoma社は撮影したカメラマンから、当該写真の著作権について独占許諾を得ていた。
前記雑誌の発行前である、同年10月のある日、GeeStijl.nlというwebニュースサイトを運営するGS Media社に対して、匿名の人物から、前記写真のファイルがホストされているサイトのURLが送信されてきた。同日、Sonoma社から、GS Media社の親会社に対して、GeenStijlに写真を掲載しないようにとの連絡が届いたが、GS Media社は「Ms Dekkerのヌード写真」という記事を掲載し、問題の写真中の1枚の一部と、「お待ちかねのあなたに写真へのリンクへはこちら」という文言と共に、写真へのリンクを掲載した。
その後、Sonoma社から記事の掲載停止の要請がGS Media社に届くが、同社は、2度、新たな記事を掲載し、写真へのリンク(当初写真を掲載していたサイトが、Sonoma社からの要請で写真を削除したので、写真を掲載している別のサイトへのリンク)も掲載した。
Sonoma社は、GS Media社による、リンクと写真の一部の掲載が著作権侵害などに当たるとして、オランダで訴訟を提起した。地裁は著作権侵害を認めたが、控訴裁は認めず、事件は最高裁に上告された。オランダ最高裁は、著作権者の同意なく、インターネット上に掲載され自由にアクセス可能な著作物に対してリンクを提供する行為が、情報社会指令の定める公衆への送信権の侵害となるか否かについて、欧州司法裁判所の先決判断を求めた。
2 判決の概要
「従来判示してきたように、『公衆への送信』という概念は、著作物の『送信行為』と『公衆』に対する著作物の送信という、累積的な2つの基準を含むものである。」また、「公衆への送信」の概念への該当性は、個別に判断が必要であって、相互依存的な追加の基準も考慮する必要がある。すなわち、第1に考慮すべきは、送信行為を行う者の果たす役割の不可欠性(送信者の行為がなければ受信者は著作物を享受できない)と意図性(受信者に著作物を享受のする機会を与えることを意図して送信を行う)である。第2に、「公衆」概念は、不確定数の潜在的視聴者を意味し、かなり多数であることが含意されている。第3は、情報社会指令の定める公衆への送信における「送信」とは営利的な性質を有しているという点である。
Svensson事件判決(C-466/12, EU:C:2014:76)によれば、「問題となっている送信行為が『追加的公衆』に向けられた者ではない場合、公衆への送信は成立しない。」この点、リンクについても、追加的公衆に向けられたものでなければならないところ、「著作物が他のwebサイト上で、著作権者の許諾のもと、全てのインターネットユーザーにとって自由に利用可能となっている場合、リンク行為は、情報社会指令上の公衆への送信には該当しない」が、逆に著作権者の同意がなく利用可能となっている著作物の場合は、リンク行為が公衆への送信に該当しないとはいえない。
もっとも、GS Media社やドイツ政府、欧州委員会などからは、インターネット上に無許諾で掲載された著作物に対するリンクを掲載する行為を全て著作権侵害とすることは、表現の自由に対する過大な制約であり、自由および公共の利益と著作権者の利益のバランスを求める、情報社会指令に合致しないとの指摘がある。
この点、表現の自由にとってのインターネットの重要性、そして、リンクがインターネットおよび大量の情報の交換に貢献していることを考慮しなければならない。さらに、「特に個人にとって、リンクが誘導しようとしているwebサイトが、保護されている著作物へのアクセスを提供しているのかどうか、そして、必要な場合は、それらの著作物がインターネットに掲載されることについて著作権者が同意しているかどうかを確かめるのは難しい。」また、リンク掲載後に、リンクした者が知らないうちに、リンク先のwebサイトの内容が変更されることもある。
以上を踏まえると、公衆への送信該当性の判断に当たっては、「他のwebサイト上で自由に利用可能な著作物へのリンクが、利益を目的としない者によって行われる場合、当該者が、当該著作物が著作権者の同意なくインターネット上に掲載されたということを、現に知らないおよび合理的に知ることもできないという事実は考慮される必要がある。」「逆に、自身が掲載したリンクがインターネット上に違法に掲載された著作物へのアクセスを提供することを現に知っていたまたは知り得べきであった者――例えば著作権者によってその旨通知された場合など――は、そのようなリンクの提供は、情報社会指令の定める『公衆への送信』に該当すると考えるべきである。」オリジナルのサイトで、著作物へのアクセスを会員に限定するための制限が行われている場合に、そのような制限を回避することを可能とするようなリンクを掲載する行為も、同様に理解されるべきである。「さらに、リンクの掲載が利益を目的として行われるとき、そのようなリンクを掲載する者は、関連する著作物が、当該リンクが誘導するwebサイト上に、違法に公開されていないことを確かめるため必要なチェックを行うことが期待される。ゆえに、当該著作物が保護されるものであること、かつ、インターネット上での公開に対する著作権者の同意がもしかしたら欠けるかもしれないことについて、十分な認識を持って、当該リンクを掲載したものと推定される。そのような状況下で、かつ、覆滅可能な推定について覆滅がなされない場合は、インターネット上に違法に掲載された作品へのリンクを掲載することは、『公衆への送信』に該当する。」
オランダ最高裁への回答としては、情報社会指令については次のように解釈すべきである。すなわち「他のwebサイト上で著作権者の同意なく自由に利用可能となっている著作物へのリンクをwebサイト上に掲載することが、同指令の規定するところの『公衆への送信』に該当するか否かを立証するためには、当該リンクの提供が、他のwebサイト上における著作物の公開が違法なものであることを知らずかつ合理的に知ることもできなかった者によって営利を目的とせずになされたものであるか、逆に、そのような認識を推定させるような状況でかつそのような目的(注:営利目的)で行われたものであるかを判断しなければならない。」
3 コメント
他のwebサイト上で著作権者の同意なく自由に利用可能となっている著作物へのリンクをwebサイト上に掲載することが、公衆への送信となり得る、という本判決の結論は――それ自体の当否を別として――これまでの欧州司法裁の一連の判決を踏まると、ある程度「想定の範囲内」のものであったといえよう。
Svensson事件判決で、欧州司法裁は、「他のwebサイトで自由に利用可能な著作物に対するリンクをwebサイト上に提供することは『公衆への送信』には該当しない」と判示したため、一見すると本判決と矛盾するように見える。しかしながら、同事件の場合、著作権者の許諾のもとにインターネット上に掲載され、結果、インターネットユーザーなら誰でも自由にアクセス可能な著作物に対するリンクが問題であったところ、本件の場合は、同じくインターネットユーザーなら誰でも自由にアクセス可能な著作物ではあるが、そもそもインターネットへの掲載自体は著作権者の同意を得ていない、違法なものであるという差があった。本判決は、その差に注目して、Svensson事件判決と矛盾しない形で結論を導いたものである。
本判決を理解するための、3つの重要ポイントについて簡単に触れたい。
(1)リンクは送信か
本判決は、リンクは当然送信行為であるとするが、その理由については詳しく触れていない。この点、Svensson事件判決は、「送信行為」は広く解釈されるべきであるとした上で、「公衆を構成する者が、その機会を利用するかどうかは別として、アクセス可能なように公衆に利用可能とされていれば」十分に「送信行為」に該当するとし、リンクは「『利用可能化』と考えられるべきであり、ゆえに、情報社会指令における『送信行為』である」とする。(注:情報社会指令では、利用可能化は、公衆への送信に含まれると規定されている。)
(2)追加的公衆
一旦、公衆への送信が行われた著作物をさらに公衆に送信する行為が問題となり得るかについて、欧州司法裁は、後者の送信の相手先たる公衆が「追加的公衆(new public)」に該当するか否かに着目する。追加的公衆とは、「著作権者が最初の公衆への送信を許諾した際に考慮されていなかった公衆」(Svensson事件判決)を意味する。
同事件の場合、著作権者がインターネット上での公開を許諾している以上、元々インターネットユーザーなら誰でもアクセス可能だったのであり、それへのリンクを提供しても、新たにアクセス可能となる者が増えるわけではなく、追加的公衆への送信とは解されない。結果、前記リンクは、公衆への送信に該当しないとされた。
一方、本件の場合は、最初の公衆への送信自体が、著作権者の許諾を得ていないので、リンクの提供は、公衆への送信に該当するとされたわけである。(詳しくは、稿を改めて検討したいが、「追加的公衆」の概念は、公衆への送信の場合における「消尽」論と捉えてもよいかもしれない。)
(3)送信と営利目的
本判決は、情報社会指令の定める公衆への送信における「送信」とは営利的な性質を有しているとするが、この認識は本判決に特有なものではない。例えば、本判決が参照するFootball Association Premier League事件判決(C‑403/08, EU:C:2011:631)では「情報社会指令における『送信』は営利的性質である」と説示し、同判決が参照するSGAE事件判決(C‑306/05, EU:C:2006:764)では「利益の追求は、公衆への送信を認定するための必須の条件ではないが、本件の事実関係のもとでは、送信は営利的性質を有するのは、いずれにしても明確である」と説示している。一貫した傾向といえる。
ところで、前記(1)(2)で触れたような考え方を前提とするならば、インターネット上に著作権者の同意なく掲載されている著作物に対してリンクを提供する行為は、全て、公衆への送信に該当する、と解すべきように思われる。しかしながら、本判決は、そのようなリンクであっても
@ リンクが営利目的でない場合は、同意なくインターネット上に掲載された著作物である
ことを現に知らず、かつ、合理的に知り得なかった場合
A リンクが営利目的である場合は、同意なくインターネット上に掲載された著作物である
ことを現に知っていたまたは合理的に知り得たと推定されるが、そのような推定を覆滅
できた場合
は、公衆への送信にあたらないとする。営利目的云々は、前記(3)との関係であろうが、いずれにしても、なぜ、@Aが除外されるのかについて、説得的な理由が提供されているわけではない。なぜ、リンク先が違法なものであることの知・不知で結論が変わるのか、なぜ、営利性があるとリンク先の違法性を認識していたと推定されるのか、全く根拠が示されていない。唐突感が強いのである。表現の自由やインターネットの重要性への配慮から、一定の場合を、公衆への送信から除外する譲歩をしたのだろうが、そこから、その理由まで汲みとることはできないのである。
また、本判決が示した条件が、一定の譲歩にすぎないのだとすると、@Aはある種の例外といえ、いずれも厳格に解釈され、それに該当するのは難しいということになるかもしれない。また、@になるかAになるかは、リンク提供者にとって、極めて大きな違いであるところ、営利目的があるかどうかがその分水嶺である結果、どのような場合を営利目的と捉えるかが、今後の大いに問題となってこよう。さらに、Aの場合は、どうすれば推定を覆滅できるのかも、重要となろう。
なお、本判決は、「公衆への送信」に該当するか否かを判断する基準を示したものである。これは何を意味するのか。第1に、一定の場合、リンクを張る行為が著作権(公衆への送信権)を「直接侵害」する余地があること示したことになる。なぜなら、「公衆への送信」に該当すると結論する以上、それは間接利用(侵害)行為ではなくて、直接利用(侵害)行為となるからである。第2に、GS Media社の行為が、「公衆への送信」に関する権利の侵害に当たるか否かについて、直接の結論を示しているわけではない。(先決判断であるため当然といえば当然である。)GS Media社の行為が、公衆への送信に関する権利を侵害するかは、権利制限規定への該当性なども考慮した上で、最終判断されることになる。もっとも、@またはAに当たる場合行為は、そもそも公衆への送信に該当しないから、当然、同権利の侵害になることがあり得ないのは明確である。
4 まとめにかえて
日本法への示唆は、別途稿を改めて検討するつもりだが、一言だけ触れると、冒頭述べたように、本判決は、従来の欧州司法裁の関連裁判例の延長上に存在するものであって、その意味では「想定の範囲内」であるが、基礎となる考え方(例えば前記(1)〜(3)など)自体が、我が国では必ずしも馴染みのないものであることを考えると、我が国著作権法制から見れば、本判決(の考え方)は、少なくとも現状、「想定の範囲外」ということになるだろう。
以上
| 資料・Draft