2018年12月14日

企業内法務(担当者)に求められる「二面性」

ロースクールで、知的財産法と企業内法務を担当しています@OKMRKJです。
この記事は法務系 Advent Calendar 2018の12月14日分です。
若手弁(@wakateben)さんからバトンを受け取りました。自分の参加資格は怪しいのですが、図々しいので知らないふり・・・。
インハウス志望の学生向けの企業内法務の授業も担当していますが、そこで話した内容中「二面性」というキーワードで括れるものをまとめてみました。
ほとんど、自分のための備忘録ですね m(_ _)m 


 通常、「二面性」という言葉は、どちらかというとマイナスの印象を伴っているかも知れない。例えば、「二面性のある人」というと、表の顔と裏の顔があって、みたいなイメージが強いのではないかと思う。ただ、この記事では、むしろ肯定的な意味で、「二面性」を捉えていきたい。
 いきなり話はそれるが、研究者に転じて、かれこれ15年になる。最初は、(研究者になってから悩むなよという話しではあるが)研究とは何かがよく分からなかった。無我夢中で、周りの人の様子を見よう見まねしているうちに、ようやく気付いたのは、研究の一番の基本は、比較と分類だということだった。
 曖昧模糊とした対象を比べて、そこから何らかの物差しを見いだし、それに基づいて分類する。もちろん、その先に考察があればなお良いわけだが、比較・分類・考察を1人の研究者が全て行わなければならないものでもない。比較と分類を行う研究者、その成果を踏まえて考察する研究者という役割分担も、ある学問分野全体としてみれば、その深化に貢献するのである。
 企業内法務の分野は、研究対象として捉えられるよりも、実務として、生き物として捉えられてきた分野である。そのため、私自身は、企業内法務の様々な事象を、まずは、比較と分類することに努力していきたいと思っている。それに基づく考察は、他の方、もしくは次代の方にお任せしたい。というわけで(もっともらしい言い訳を述べた後に、最も単純な)比較・分類の成果として、二面性について語りたい。

@ 当事者と第三者
 外部法律事務所の行う企業法務と、企業の法務部門が行う企業法務の違いは、当事者性にあるというのはよくいわれることである。確かに、他人の問題ではなくて、自分の(会社の)問題として、法務課題に取り組むのが、企業内法務の特徴であろう。
 ただ、よくよく考えてみると、企業の法務部門の当事者性は、対社外の文脈でこそ強調されるものであり、対社内では、むしろ、本当の当事者であるビジネス現場とは一線を引いた第三者性を強調しなければならない文脈も少なくないように思うのである。例えば、ある事業部の製品の欠陥で、取引先に損害を発生させてしまったとする。このとき、社外の取引先との関係でいえば、法務部門は、相手先に迷惑を掛けた当事者である企業の一員として、問題解決にあたらなければならない。しかし、一度社内に戻ってきて、問題解決を進めていく上では、当該事業部と一体になるのではなくて、一歩引いたところから、原因発見と課題解決、再発防止に取り組み、場合によっては責任追及を行わなければならない。
 その意味では、(特に学生や若手の法務担当者に対して)企業内法務の当事者性をあまりに強調するのは、間違ったメッセージにならないかと心配してしまう。


A ブレーキとアクセル
 ダメなものはダメといって、止めなければならない法務部門は、確かにブレーキの役目を期待されている。しかし、ビジネスを推進することこそ企業のレゾンデートルであることを考えれば、その企業の「内」にある法務部門である以上、ビジネスの推進を手助けするアクセルとしての役割も果たさなければならない。最近はやりのフレーズである、ガーディアンとパートナー、守りの法務と攻めの法務、ローヤーとビジネス・パーソン、なども、(個々に見ると色々と差異はあるものの)基本的には同様の問題意識が反映されているのだろう。
 とはいえ、今更の感のある「二面性」であり、敢えて触れるまでもないとも思ったが、それだけに外すわけにもいかず、取り上げた。


B 悲観と楽観
 契約業務に関わっていていつも思ったのは、ビジネス部門は皆楽観的であるのに対して、(だからこそではあるが)法務としては悲観的な視点を持たざるを得ないということ。
 このビジネスが上手くいけば、この技術開発が上手くいけば、その先こうなってああなって、市場の占有率がこれくらいになって、売上げと利益もこんなに、というバラ色の話しを、ビジネス部門から聞かされた経験のない企業内法務担当者はいないだろう。
 そんなときほとんどの法務担当者は、また水を差してしまうのか、自分でも思いながら、「そうですね。是非、そうなるようみんなで頑張りましょう。法務も全力で取り組みます・・・そこでなんですが、まあ、今のお話しのように考えづらいんですけどね、ただ、法務としては、老婆心というか役目というかですね、万に一つですね、上手く行かなかった場合の、対応策が弱いんではないかなと、現状の契約案では・・・。△△△のトラブルがあった場合はですね、こういう対策ができるように・・・」などと、1人悲観的なシナリオを踏まえた手当を説かねばならなかったりするのが、常であろう。
 ただ、一方で、かなり深刻な案件で、それを関係者が皆理解しているときに、法務がいつものように悲観的な視点から取り組んでしまうと(法務にとっては通常運転なので、特に気にならないとしても)周りにとっては、後がないのではという連想につながりかねない。深刻な案件で、皆がそれを認識しているとき、法務にはむしろ、「大丈夫、なんとか解決策はあります。一緒に頑張りましょう」と楽観的な視点を提供し、皆を安心させ力づける役割が期待される面もある。


C 全体と個別
 企業内法務も、外部法律事務所と同様に、クライアントの利益を最大限にすることをその使命とすべきであるのはいうまでもない。契約交渉への参加や契約書のレビューを依頼してきた現場、訴訟に巻き込まれて助けを求めてきた事業部、新規ビジネスの法的適合性について相談に来た部署、などは、皆法務部門にとって、クライアントである。そのこと自体は間違いがない。
 しかしながら同時に重要なのは、法務部門にとっての究極的なクライアントは、個々の事業部やビジネス現場ではなくて、企業そのものであるという視点であろう。事業部やビジネス現場の集合体が企業である以上、事業部などの利益になることは、概ね、企業全体の利益となることは事実である。しかし、常に、部分最適と全体最適が一致するとは限らないのは、自明のことである。そのとき、直接のクライアントである事業部などのためではなくて、究極のクライアントである企業全体のために活動しなければならない。そしてこのことは、法務の看板を掲げている以上、事業部門の傘下にある法務部(課・室)であっても同じだと思う。普段は、当該事業部門の一部として、その事業部門のために業務を遂行する法務部門であって問題ないし、そうあるべきなのだが、めったにないことではあるものの、仮に、その事業部にとっての利益が、全社的な不利益につながることが(手を尽くしても)避けがたくなったとき、事業部門傘下の法務部(課・室)であっても、企業全体の利益を優先して行動する必要がある。
 (同様の視点は、ブレーキとアクセル、ガーティアンとパートナーに関しても当てはまる。個別のビジネスでアクセル役を果たし、CEOのパートナーとして経営に参画する、その一方で、ブレーキとしての役目、ガーディアンとしての役目を、躊躇することなく実行に移さなければならないのは、究極のクライアントである全社の不利益が予見されるときである。)


D 説得と納得
 法務の仕事は、論理で、周りをそして相手を説得することである。ただ、論理による説得は、ときに、感情的な反発を芽生えさせてしまうことがある。論理が正しく、そこに隙がなければないほど、説得される方は逃げ場がなくなり、説得を受け入れる一方で、反発心を抱くことがあり得る。一つ一つの反発心が小さくても、いつかそれが大きくまとまらないとも限らない。
 反発なく、つまり、嫌々でなく受け入れてもらうためには、説得で留まらず、相手の納得を得るところまで進む必要がある。説得されて、相手が得心し、自分のことと思ったときに納得が生まれる。説得に基づく行動はどこか他律的である一方、納得に基づく行動は少なからず自律的であり、長続きする。
 そのような意味での納得を得るためには、論理プラスαが必要となる。相手の立場を慮り、面子を立て、言い分を汲み取っていかなければ、納得を得ることは難しい。説得するためには話し上素でなければならないが、納得を得るためには話し上手である以上に聞き上手でなければならない。


 と、順不同に5つの二面性を取り上げてきた。まだまだこの調子で(冷静と情熱、専門と総合、慎重と大胆、手続きと結果という具合に)続くのだが、それは次の機会とし、本記事の最後に、(恥ずかしいぐらい)簡単な考察をしておきたい。
 取り上げた二面性、常にどちらかに大きく傾いているというのは良くなくて、企業内法務としては、両方を上手く使い分けることが求められるのはいうまでもないし、だからこそ「二面性」と題したつもりである。もちろん、時と場合、そして担当者の個性によって、ある項目についてはこちら側、別の項目についてはこちら側という具合に変化したり、また、今回はこちら側に振れたけど、次の機会には逆に振れた、というようなこともあり得るだろう。同時に両方を実現することはできない以上、時々に、適切な方を選んでいくしかない。
 ただ、どちらの側を選択すべきか分からないぐらい悩んだときは、やはり、A〜Dの項目に関してはそれぞれ前者(ブレーキ、悲観、全体、説得)を選ぶべきだろうと私は思っている。何故か。答えは、企業は、組織であり、そこには、法務部門以外の部門も存在するからだ。つまり、A〜Dの項目に関して後者(アクセル、楽観、個別、納得)を選ぶ部署は、法務以外にも存在する一方、前者を選び、それを基に業務を進められる適切な部署(そう期待されている部署)の最有力候補は法務部だからだ。古くさい法務観と言われるかも知れないが、普段は別として、当該企業に一朝事あるときは、司々が、その本来の責務を果たすべきであり、法務の本務はやはり前者だろう、というのが私なりの現時点での考察結果である。

バトンタッチは Tetsuya Oi さんへです。よろしくお願いします。


2016年12月20日

企業内法務を教える中で気づいたこと(元記事)

 教えるということは、教えられる者以上に、教える者にいろいろな気付きを与えてくれるという、今更ながらのお話し2つです。すみません。

(1)今、所属校のロースクールで、企業内法務に関する科目を3コマ担当している。企業内リーガルセクションフォーラム・プログラムという、法科大学院から企業内法務への接続を容易にするために、企業内法務を概観する授業(端的に言えば、法務部門の新人研修の一部前倒し)を春学期と秋学期に1コマずつ計2コマ、そして模擬契約交渉や模擬トラブル対応などの演習中心の実務基礎科目1コマである。
 実際授業を開始するまでは、かつて企業法務部門に所属していた際に行っていた法務社員向けの研修の要領かなとイメージしていたのだが、いざ始めてみると大きく違うことに気付いた。法務社員であれば、たとえ新人であっても、現場最前線にいるのは間違いなく、肌感覚で、仕事とは何か、会社とは何か、経営とは何か、企業内法務とは何かを日々感じている。そして、そのことを当然の前提として、研修は設計され実施される。しかし、学校の場合、受講者は学生であるため(しかも多くは社会人経験を有しない)、企業内法務について語る前に、そもそも仕事とは何か、会社とは何か、経営とは何かを説明しなければならないのである。逆にいえば、企業内法務が、どれだけ、会社や経営と結びついたものかを改めて認識した次第である。
 また、授業を進める中で、実務に関する科目とはいえ、実務経験のない学生に、教室内で実務を実務として教授するのは、水泳経験のない者を畳の上で泳がせて泳ぎ方を教えるようなものであって、決して効率的ではないことも気付いた。やはり、教室での教育には、一定程度抽象化・体系化した知識を教えることが求められる。基礎的な知識を一応身につけた者に経験させると、知識は定着し、経験を素早く吸収するのではないかと思っている。
 そこで、授業では(乏しい)経験からひねり出すようにして、企業内法務についての考え方を自分なりに抽象化、体系化して解説しようと努力している。(全15回の授業の内、企業内法務の最前線で活躍されている方をゲスト講師として計7回招いているが、ゲスト講師の授業を楽しみにしているのは学生ばかりではなく、私も楽しみにしている。それぞれの講師の、企業内法務観を90分間聴けるのは、滅多にない機会で大変贅沢な話しだと恐縮している。)
 例えば、(あくまでも私見であるが)企業内法務担当者に求められる汎用的基礎力として、リーガル・マインド、ビジネス・センス、マネジメント・スキルの3つを提唱しているのだが、企業内法務について授業を担当しなければ、ここまで煮詰めて考えることはなかったろう。
 いずれの気付きも、最前線で実務に携わられている方からすれば、何を温いことを、とおしかりを受けるかもしれないが、企業内法務教育を担当する立場を活かした形で、企業内法務と向き合い、企業内法務業界(?)になにがしかの貢献ができればと思っている。

(2)ロースクールの他にビジネススクールにも出講しており、そこでは、企業法務全般についての概説講義を担当している。受講生のほとんどは、法学部出身者ではなく、また社会人経験を有する者も多い。
 あるとき授業で、特許権制度の概要を解説したことがあった。特許権の一生として、出願>出願公開>審査請求>審査>特許査定>設定登録>存続期間満了、という大きな流れを、ところどころ大学入試にたとえながら説明した(例:「大学入試の場合願書を出す、すなわち出願することをしないと始まりませんが、特許権もそれと同じで、まず出願が必要です。」「審査は、入試の採点みたいなものです。特許査定は合格通知。そして、入学するためには、合格通知をもらっただけではダメで、入学手続きが必要なのと同様に、特許査定を受けて設定登録しないと晴れて特許権は発生しない」など)。
 一通りの説明終了後、ある学生が挙手して「出願公開は避けられないのですよね。そして、特許権が発生するのは、審査を経て設定登録をすませてからなのですよね。とすると、公開から設定登録の間までに、公開された情報をみてマネされたらどうなるのでしょうか。発明した会社としては損害を受けることになると思うのですが。」という趣旨の質問をしたのである。いうまでもなく、この質問は、出願公開による補償金請求権制度の制度趣旨を端的に言い表している。
 素晴らしい質問に、正直驚いた。自分が特許法について初めて学んだときのことを思い出すと、制度として説明されて初めて、なるほど確かにそういう不都合があるなあ、と思ったものであるが、質問した学生は、自力で、その不都合に気付いたのである。
 そのとき思ったのは、自分は法律や法制度を、いつの間にか、何か自立した存在・対象のように捉えているのではないか、ということであった。実際には、社会や経済の仕組みと結びついて存在しているにもかかわらずである。特に、企業法務に関わる法律は、企業活動に密接に結びついている。結果、具体的な法律は知らなくても、企業活動自体をよく理解していると、そこから思考を進めれば、関係する法律の要諦に、自ずとたどり着けるのである。
 これは、かなり示唆的かもしれない。経営者が、ビジネス部門が、法務の説明を理解してくれない。往々にしてあることなのだが、その原因は、先方の理解不足もあるだろうが、一方で、法務の側が、彼・彼女らと同じ程度にビジネスを理解できていないために、ビジネスサイドの思考の進展を促せていない可能性があるのだろう。
 このときも、教えることは、教えられる以上に、学ぶことが多いのだと気付いた次第である。

 日々勉強である。

ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決について



ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決
(知財高判H28.10.19平成28(ネ)10041)


1 はじめに
 まだ、判例評釈など公刊されていないようなので、簡単にコメントしておきたい。
 ポイントから先にいえば、本判決の結論自体は、あり得る一つの結論だと理解するが、結論にいたる論理には2つの問題点があると考えている。

2 事案の概要および争点(以下のコメントに必要な部分のみ)
 X(1審原告)は、著作権等管理事業者として音楽著作権の管理業務を行っている。Y(1審被告ら)は、本件店舗の経営者である。
「本件店舗は・・・ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている」
「Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店し・・・本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができる」
「本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収している」
本件店舗で開催される「各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定して」いる。
「本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布している」

 以上の事実関係を前提として、Yは本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体であるといえるかが争われた。

3 判決のポイント(関連部分のみ)
「(1)著作権の利用主体について
 本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第1204号同63年3月15日第三小法廷判決・民集42巻3号199頁,最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1号399頁等参照)。」
「(2)Yらの演奏主体性について
 前記・・・認定事実・・・のとおり,本件店舗は,ライブの開催を伴わずにバーとして営業する場合もあるものの,ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている・・・。
 また,前記・・・認定事実・・・のとおり,Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店したこと,本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができること,本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収していることからすれば,本件店舗は,X管理著作物の演奏につき,単に出演者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまるものではないというべきである。」
「・・・これらの事実を総合すると,Yらは,いずれも,本件店舗におけるX管理著作物の演奏を管理・支配し,演奏の実現における枢要な行為を行い,それによって利益を得ていると認められるから,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たると認めるのが相当である。」
「Yらは,本件店舗におけるライブの主催者は,本件店舗以外の第三者であり,Yらは単にライブの場を提供しているのみであって,演奏曲目やミュージックチャージの額を決定していないから,演奏主体に当たらないと主張する。
 しかし,前記・・・認定事実・・・のとおり,そもそも本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができ,本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであること,本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布していること,本件店舗では,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代を徴収していることからすると,たとえ各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定していたとしても,そのような事実は上記・・・認定を妨げるものとはいえない。よって,Yらの上記主張は採用することができない。」
「さらに,Yらは,X管理著作物の演奏の実現における枢要な行為は,〔1〕X管理著作物の選定及び〔2〕選定されたX管理著作物の実演であるところ,Yらは,いずれもこれらの行為を行っていないので,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たらないと主張する。
 しかし,前示のとおり,著作権の侵害主体性を判断するに当たっては,物理的,自然的な観点にとどまらず,規範的な観点から行為の主体性を検討判断するのが相当であるところ,そもそも本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当である。・・・
よって,Yらは,本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)であると認められる。」


4 コメント
(1)汎用ロクラクU法理 ⊃ カラオケ法理?

 本判決中の
「本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」

という説示は、
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」とした上で、「サービス提供者は、単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為をしており、複製時におけるサービス提供者の上記各行為がなければ、当該サービスの利用者が録画の指示をしても、放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであり、サービス提供者を複製の主体というに十分であるからである」

とする、ロクラクU事件最高裁判決(最判平成平成23・1・20民集65・1・399)の説示に倣ったものであることは明らかである。
 しかしながら、そもそも、ロクラクU事件最判の前記説示は、複製の場合を越えて、利用行為一般に適用できるものであったのか、疑問がある。というのも同最判は、前記引用部の直前に
  
放送番組等の複製物を取得することを可能にするサービスにおいて,サービスを提供する者・・・が,その管理,支配下において,テレビアンテナで受信した放送を複製の機能を有する機器・・・に入力していて,当該複製機器に録画の指示がされると放送番組等の複製が自動的に行われる場合には,その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。」(下線評者)

という件があることからも明らかなように、下線部のような場合についての、複製主体の判断のために示されたものである。それを、特段の検討もなく、「複製」という用語を単純に「著作物の利用」と置き換えることで、汎用ロクラクU法理とでも呼ぶべきようなものに転換した上で用いていることには疑問を感じざるを得ない。
 さらにいえば、本判決は、前記汎用ロクラクU法理を述べた部分で、参照判例として、ロクラクU事件最判のみならず、クラブ・キャッツアイ事件最判(最判昭和63・3・15民集42・3・199)をあげている。これは、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理もその一形態と理解していることの証左のように思われる。これは多分に、ロクラクU事件最判における金築裁判官の補足意見である
「『カラオケ法理』は,法概念の規範的解釈として,一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり,これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる。したがって,考慮されるべき要素も,行為類型によって変わり得るのであり,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない。この二要素は,社会的,経済的な観点から行為の主体を検討する際に,多くの場合,重要な要素であるというにとどまる。」

に影響されたものと思われる。
 しかしながら、前記補足意見が、大勢を占めるのであれば、それは法廷意見となっているはずであり、現実には、補足意見にとどまることは、十分考慮されなければならない。しかも、ロクラクU事件最判の法廷意見中には、クラブ・キャッツアイ事件最判に対する言及が全く存在しないことからも、本判決のように、カラオケ法理を(汎用)ロクラクU法理の一形態と位置づけることには疑問を持たざるを得ない。むしろ、学説上指摘されるように、ロクラクU事件最判の考え方は、複製の場合の利用(侵害)主体に関する論理で、カラオケ法理は(最高裁レベルでは)演奏の場合の利用(侵害)主体に関する論理、というように分けて考える方が素直なようにも思われる。

(2)枢要行為はどこ?
 そもそもロクラクU事件最判の
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」

という部分は、複製の主体は総合考慮によって判断すべきと述べているに過ぎず、考慮要素が明示されているといっても、特筆するものもなく、かつ、いずれを重視すべきかなども示されておらず、具体的な事案で用いようとした途端に困ってしまうところがある。
 そのため、前記総合考慮をクリアして複製主体と判断できる一例として、
「単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為を」

したことをあげた部分が注目を集めるのである。
 本判決も、その点を意識し、
「著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」

と述べている。
 仮に、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理をその一形態として理解することを是とした場合、本判決の直上引用部分は当然ということになろう。
 しかしながら問題はその先である。では、本判決は、何をもって、枢要行為と考えたのだろうか。この点、本判決は
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当」

と述べるにとどまる。つまり、具体的な行為は特定されていないのである。善解すれば、
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていること」

全体が枢要な行為ということになるのかもしれない。しかしながら、そもそも、枢要とは、辞書を引けば明らかなように、「物事の最も大切な所」(デジタル大辞泉)という意味であり、行為すべてが枢要であるというのは、矛盾といわざるを得ない。結局、本判決は、単に総合考慮したにすぎない。この点、ロクラクU事件最判が
「管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為」

と特定して、予測可能性を高めているのとは、大きく異なることを指摘したい。

(3)デサフィナード事件
 デサフィナード事件では、外部の演奏者に、彼・彼女らが主催するライブのために店舗を使用させたレストランカフェについて、演奏の主体となりか否かが問題となった。同事案では、曲目は演奏者が決定し、ライブチケットの作成・販売も演奏者が行い、売り上げも演奏者がすべて手にした。レストランカフェ側は、従業員がチケット代金の徴収事務を代行したり、例外的に予約を受け付けたりする以外は、ライブに関与しなかった。さらに、店舗使用料を受け取ることも、演奏者に出演料を支払うこともせず、ライブの観客が求めた場合に簡素な飲食物を提供するだけであった。以上のような事実関係を踏まえ、裁判所は、レストランカフェ側のライブに対する管理・支配がなく、また、レストランカフェを営業上の利益の帰属主体ともいえないとして、レストランカフェを演奏行為の主体とは認めなかった(大阪高判平成20・9・30判時2031号132頁)
 デサフィナード事件大阪高裁判決は、カラオケ法理を用いている(なお同判決は、カラオケ法理はカラオケの文脈で発展してきたものであるとして、他の文脈では参酌すべきという慎重な態度を示すが、実態としてカラオケ法理を用いているといってよいだろう)。デサフィナード事件と本件との間で、事実関係の違いを探すと、店舗側の従業員の関与の程度と、店舗側がライブに集まった観客からどの程度確実に収入を得ることができるかの2点となろう。しかし、このような差で、デサフィナード事件の場合に認められなかった管理・支配性が、本件の場合には肯定されるといえるのかは、意見が分かれるところだろう(なお、営業上の利益については、本件の方がより直接的に存在するのは事実であろう)。つまり、本件は、カラオケ法理で解決するには、限界事例であったように思える。
 その意味で、カラオケ法理ではなく、汎用ロクラクU法理を用いようとした点、理解できなくはないのであるが、やはり、(2)で指摘したような問題点が気にかかり、結論の当否は横に置いて、本判決には疑問を感じざるを得ないのである。

以上