2016年12月20日

ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決について



ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決
(知財高判H28.10.19平成28(ネ)10041)


1 はじめに
 まだ、判例評釈など公刊されていないようなので、簡単にコメントしておきたい。
 ポイントから先にいえば、本判決の結論自体は、あり得る一つの結論だと理解するが、結論にいたる論理には2つの問題点があると考えている。

2 事案の概要および争点(以下のコメントに必要な部分のみ)
 X(1審原告)は、著作権等管理事業者として音楽著作権の管理業務を行っている。Y(1審被告ら)は、本件店舗の経営者である。
「本件店舗は・・・ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている」
「Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店し・・・本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができる」
「本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収している」
本件店舗で開催される「各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定して」いる。
「本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布している」

 以上の事実関係を前提として、Yは本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体であるといえるかが争われた。

3 判決のポイント(関連部分のみ)
「(1)著作権の利用主体について
 本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第1204号同63年3月15日第三小法廷判決・民集42巻3号199頁,最高裁平成21年(受)第788号同23年1月20日第一小法廷判決・民集65巻1号399頁等参照)。」
「(2)Yらの演奏主体性について
 前記・・・認定事実・・・のとおり,本件店舗は,ライブの開催を伴わずにバーとして営業する場合もあるものの,ライブの開催を主な目的として開設されたライブハウスであり,本件店舗の出演者は・・・X管理著作物を演奏することが相当程度あり,本件店舗においては,X管理著作物の演奏が日常的に行われている・・・。
 また,前記・・・認定事実・・・のとおり,Yらは,共同して,ミュージシャンが自由に演奏する機会を提供するために本件店舗を設置,開店したこと,本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができること,本件店舗が,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代として最低1000円を徴収していることからすれば,本件店舗は,X管理著作物の演奏につき,単に出演者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまるものではないというべきである。」
「・・・これらの事実を総合すると,Yらは,いずれも,本件店舗におけるX管理著作物の演奏を管理・支配し,演奏の実現における枢要な行為を行い,それによって利益を得ていると認められるから,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たると認めるのが相当である。」
「Yらは,本件店舗におけるライブの主催者は,本件店舗以外の第三者であり,Yらは単にライブの場を提供しているのみであって,演奏曲目やミュージックチャージの額を決定していないから,演奏主体に当たらないと主張する。
 しかし,前記・・・認定事実・・・のとおり,そもそも本件店舗にはステージや演奏用機材等が設置されており,出演者が希望すればドラムセットやアンプなどの設置された機材等を使用することができ,本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであること,本件店舗のスタッフは,出演者からライブの名称や宣伝文,写真等のデータを受領すると,それを本件店舗のホームページに掲載し,また,本件店舗のライブスケジュールが印刷されたチラシを本件店舗に置いたり,配布していること,本件店舗では,出演者から会場使用料を徴収しておらず,ライブを開催することで集客を図り,ライブを聴くために来場した客から飲食代を徴収していることからすると,たとえ各ライブに出演する者や演奏曲目,ミュージックチャージの額などを,Yら又は本件店舗のスタッフではなく出演者自らが決定していたとしても,そのような事実は上記・・・認定を妨げるものとはいえない。よって,Yらの上記主張は採用することができない。」
「さらに,Yらは,X管理著作物の演奏の実現における枢要な行為は,〔1〕X管理著作物の選定及び〔2〕選定されたX管理著作物の実演であるところ,Yらは,いずれもこれらの行為を行っていないので,X管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)に当たらないと主張する。
 しかし,前示のとおり,著作権の侵害主体性を判断するに当たっては,物理的,自然的な観点にとどまらず,規範的な観点から行為の主体性を検討判断するのが相当であるところ,そもそも本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当である。・・・
よって,Yらは,本件店舗におけるX管理著作物の演奏主体(著作権侵害主体)であると認められる。」


4 コメント
(1)汎用ロクラクU法理 ⊃ カラオケ法理?

 本判決中の
「本件店舗において,X管理著作物を演奏(楽器を用いて行う演奏,歌唱)をしているのは,その多くの場合出演者であることから,このような場合誰が著作物の利用主体に当たるかを判断するに当たっては,利用される著作物の対象,方法,著作物の利用への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,仮に著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」

という説示は、
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」とした上で、「サービス提供者は、単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為をしており、複製時におけるサービス提供者の上記各行為がなければ、当該サービスの利用者が録画の指示をしても、放送番組等の複製をすることはおよそ不可能なのであり、サービス提供者を複製の主体というに十分であるからである」

とする、ロクラクU事件最高裁判決(最判平成平成23・1・20民集65・1・399)の説示に倣ったものであることは明らかである。
 しかしながら、そもそも、ロクラクU事件最判の前記説示は、複製の場合を越えて、利用行為一般に適用できるものであったのか、疑問がある。というのも同最判は、前記引用部の直前に
  
放送番組等の複製物を取得することを可能にするサービスにおいて,サービスを提供する者・・・が,その管理,支配下において,テレビアンテナで受信した放送を複製の機能を有する機器・・・に入力していて,当該複製機器に録画の指示がされると放送番組等の複製が自動的に行われる場合には,その録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。」(下線評者)

という件があることからも明らかなように、下線部のような場合についての、複製主体の判断のために示されたものである。それを、特段の検討もなく、「複製」という用語を単純に「著作物の利用」と置き換えることで、汎用ロクラクU法理とでも呼ぶべきようなものに転換した上で用いていることには疑問を感じざるを得ない。
 さらにいえば、本判決は、前記汎用ロクラクU法理を述べた部分で、参照判例として、ロクラクU事件最判のみならず、クラブ・キャッツアイ事件最判(最判昭和63・3・15民集42・3・199)をあげている。これは、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理もその一形態と理解していることの証左のように思われる。これは多分に、ロクラクU事件最判における金築裁判官の補足意見である
「『カラオケ法理』は,法概念の規範的解釈として,一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり,これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる。したがって,考慮されるべき要素も,行為類型によって変わり得るのであり,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない。この二要素は,社会的,経済的な観点から行為の主体を検討する際に,多くの場合,重要な要素であるというにとどまる。」

に影響されたものと思われる。
 しかしながら、前記補足意見が、大勢を占めるのであれば、それは法廷意見となっているはずであり、現実には、補足意見にとどまることは、十分考慮されなければならない。しかも、ロクラクU事件最判の法廷意見中には、クラブ・キャッツアイ事件最判に対する言及が全く存在しないことからも、本判決のように、カラオケ法理を(汎用)ロクラクU法理の一形態と位置づけることには疑問を持たざるを得ない。むしろ、学説上指摘されるように、ロクラクU事件最判の考え方は、複製の場合の利用(侵害)主体に関する論理で、カラオケ法理は(最高裁レベルでは)演奏の場合の利用(侵害)主体に関する論理、というように分けて考える方が素直なようにも思われる。

(2)枢要行為はどこ?
 そもそもロクラクU事件最判の
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」

という部分は、複製の主体は総合考慮によって判断すべきと述べているに過ぎず、考慮要素が明示されているといっても、特筆するものもなく、かつ、いずれを重視すべきかなども示されておらず、具体的な事案で用いようとした途端に困ってしまうところがある。
 そのため、前記総合考慮をクリアして複製主体と判断できる一例として、
「単に複製を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず、その管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為を」

したことをあげた部分が注目を集めるのである。
 本判決も、その点を意識し、
「著作物を直接演奏する者でなくても,ライブハウスを経営するに際して,単に第三者の演奏を容易にするための環境等を整備しているにとどまらず,その管理,支配下において,演奏の実現における枢要な行為をしているか否かによって判断するのが相当である」

と述べている。
 仮に、ロクラクU最判の考え方を利用行為一般に該当するものとして汎用的に捉え直した上で、カラオケ法理をその一形態として理解することを是とした場合、本判決の直上引用部分は当然ということになろう。
 しかしながら問題はその先である。では、本判決は、何をもって、枢要行為と考えたのだろうか。この点、本判決は
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていることからすれば,Yらが現に演奏楽曲を選定せず,また,実演を行っていないとしても,X管理楽曲の演奏の実現における枢要な行為を行っているものと評価するのが相当」

と述べるにとどまる。つまり、具体的な行為は特定されていないのである。善解すれば、
「本件店舗が,X管理著作物の演奏が想定されるライブハウスであり、ライブを開催することで集客を図り,客から飲食代を徴収していること,本件店舗にアンプ,スピーカー,ドラムセットなどの音響設備等が備え付けられていること」

全体が枢要な行為ということになるのかもしれない。しかしながら、そもそも、枢要とは、辞書を引けば明らかなように、「物事の最も大切な所」(デジタル大辞泉)という意味であり、行為すべてが枢要であるというのは、矛盾といわざるを得ない。結局、本判決は、単に総合考慮したにすぎない。この点、ロクラクU事件最判が
「管理、支配下において、放送を受信して複製機器に対して放送番組等に係る情報を入力するという、複製機器を用いた放送番組等の複製の実現における枢要な行為」

と特定して、予測可能性を高めているのとは、大きく異なることを指摘したい。

(3)デサフィナード事件
 デサフィナード事件では、外部の演奏者に、彼・彼女らが主催するライブのために店舗を使用させたレストランカフェについて、演奏の主体となりか否かが問題となった。同事案では、曲目は演奏者が決定し、ライブチケットの作成・販売も演奏者が行い、売り上げも演奏者がすべて手にした。レストランカフェ側は、従業員がチケット代金の徴収事務を代行したり、例外的に予約を受け付けたりする以外は、ライブに関与しなかった。さらに、店舗使用料を受け取ることも、演奏者に出演料を支払うこともせず、ライブの観客が求めた場合に簡素な飲食物を提供するだけであった。以上のような事実関係を踏まえ、裁判所は、レストランカフェ側のライブに対する管理・支配がなく、また、レストランカフェを営業上の利益の帰属主体ともいえないとして、レストランカフェを演奏行為の主体とは認めなかった(大阪高判平成20・9・30判時2031号132頁)
 デサフィナード事件大阪高裁判決は、カラオケ法理を用いている(なお同判決は、カラオケ法理はカラオケの文脈で発展してきたものであるとして、他の文脈では参酌すべきという慎重な態度を示すが、実態としてカラオケ法理を用いているといってよいだろう)。デサフィナード事件と本件との間で、事実関係の違いを探すと、店舗側の従業員の関与の程度と、店舗側がライブに集まった観客からどの程度確実に収入を得ることができるかの2点となろう。しかし、このような差で、デサフィナード事件の場合に認められなかった管理・支配性が、本件の場合には肯定されるといえるのかは、意見が分かれるところだろう(なお、営業上の利益については、本件の方がより直接的に存在するのは事実であろう)。つまり、本件は、カラオケ法理で解決するには、限界事例であったように思える。
 その意味で、カラオケ法理ではなく、汎用ロクラクU法理を用いようとした点、理解できなくはないのであるが、やはり、(2)で指摘したような問題点が気にかかり、結論の当否は横に置いて、本判決には疑問を感じざるを得ないのである。

以上